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札幌地方裁判所 平成2年(わ)965号 判決 1991年6月26日

本籍

札幌市中央区宮の森三条七丁目二番

住居

同市同区宮の森三条七丁目二番二〇号

医師

黒川融

昭和五年一二月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官西浦久子、弁護人中島一郎出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役二年及び罰金七〇〇〇万円に処する。

罰金を完納することができないときは、金五〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から三年間懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、医業を営む傍ら、営利を目的とした有価証券の売買を継続的に行っていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、右有価証券の売買による利益を除外して自己及び家族名義で株式を購入するなどの方法により所得を秘匿した上、

第一  昭和六〇年分の実際総所得金額が一億七二八八万九五九五円であり、これに対する所得税額が一億六〇一万五〇〇円であるのに、昭和六一年三月一五日、北海道夕張市末広一丁目一〇七番地所在の所轄岩見沢税務署夕張支署において、同税務署長に対し、総所得額が二二一一万九五二三円であり、これに対する所得税額が四九五万六六〇〇円である旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限である同日を徒過させ、もつて、不正の行為により正規の所得税額との差額一億一〇五万三九〇〇円を免れ

第二  昭和六一年分の実際総所得金額が二億四七八二万一六九六円であり、これに対する所得税額が一億五八七〇万三二〇〇円であるのに、昭和六二年三月一六日、前記岩見沢税務署夕張支署において、同税務署長に対し、総所得額が、一七二五万三一一円であり、これに対する所得税額が、二八八万八八〇〇円である旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限である同月一六日(末日が日曜日のため法定納期限となつた。)を徒過させ、もつて、不正の行為により正規の所得税額との差額一億五五八一万四四〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

判示事実全部について

一  被告人の当公判廷における供述

一  被告人の検察官に対する供述調書(三通)

一  第三回公判調書中の証人有賀昌雄及び同岡村義明の各供述部分

一  有賀昌雄(不同意部分を除く。)、黒川一子、黒川美朝、黒川知美及び黒川智子の検察官に対する各供述調書

一  池元敬三の大蔵事務官に対する質問てん末書(二通)

一  検察事務官作成の電話通信書及び報告書(二通)

一  大蔵事務官作成の有価証券売買益の帰属調査書、株式の売買回数及び売買株数調査書、有価証券売買益調査書、通信費調査書、接待交際費調査書、図書刊行費調査書、雑費調査書、預け金調査書、委託保証金調査書、有価証券調査書及び事業所得調査書

一  有賀昌雄作成の申述書

一  六〇年分の所得税の修正申告書(謄本)

一  押収してある昭和五九年ないし昭和六一年度分の所得税の確定申告書等綴(一綴、平成二年押第二二九号の1)

判示第一の事実について

一  椿央男の検察官に対する供述調書(不同意部分を除く。)

一  椿央男作成の申述書

判示第二の事実について

一  岡村義明の検察官に対する供述調書(不同意部分を除く。)

一  岡村義明作成の申述書

(事実認定の補足説明)

被告人及び弁護人は、被告人において、有価証券売買益の課税要件(以下単に「課税要件」ともいう。)を知らなかつた結果、本件売買益を申告しなければならないことを認識していなかつたため、本件につき所得を秘匿して所得税を免れようという意図は無かつた旨主張するので、この点につき補足して説明する。

一  有価証券売買益の課税要件を知らないことは法の不知に過ぎない。しかし、所得の秘匿工作を伴う脱税事犯として起訴された本件では、被告人が右の課税要件を知つていて、本件売買益について申告義務の生じることがありうることを認識していないと、脱税の手段としての所得の秘匿ということが考えられない関係にある。そのため、本件では被告人が右の課税要件を知つていたことが、被告人の故意責任を肯認するための前提要件となつている。

二  この点について、被告人は、捜査段階において、平成二年の十数年前から、不正確な部分があるものの、有価証券売買益の課税要件を知つていたことを自白している。ところが、被告人は当公判廷において、本件各犯行当時、右の課税要件を知らず、有価証券の売買益には税がかからないと思つていたと、捜査段階の自白を翻している。そこで、被告人のこの各供述の信用性について検討する。

1  昭和六〇年三月から昭和六二年七月までの間に、被告人の有価証券売買を担当していた証券会社員である有賀昌雄及び岡村義明は、被告人と課税要件の話をした旨被告人の自白を裏付ける証言をしているが、両名と被告人との関係や各供述内容に照らしても、その証言の信用性は高い。

2  前掲の各証拠によれば、被告人の自白を裏付ける次の事実も認められる。即ち、有価証券売買益の課税要件は、昭和三六年以来本件当時まで改正されておらず、一般の投資家に周知されていたものである。被告人は、昭和四二年ころから株式取引を始め、本件当時まで長期間継続して株式等の取引をしており、証券会社から株式取引の知識、経験の豊富な顧客として一目置かれており、被告人が定期講読していた日本経済新聞にも、本件以前から課税要件に関する記事が報道されていた。これらの事実は、被告人が、一般の投資家同様に、課税要件を知つていたことを窺わせている。

しかも、被告人は、昭和五五年から五七年にかけて税金対策として、一〇〇万円ずつを妻子に贈与した旨の贈与の実体を欠く虚偽の贈与税の申告をしたり、株式配当益の課税要件については本件当時明確に認識しているなど、税金について関心を持つていた。

3  被告人は、国税当局から調査を受け、弁護士に本件について相談するようになつた後に、前記自白をしていて、その供述内容に照らしても、任意性、信用性を疑わせる事情はないと認められる。

4  なお、弁護士は、被告人の本件有価証券売買の回数、売買株式数を見ても、被告人が、課税要件を充足するのを回避するための配慮をしていないことが窺われ、また、家族名義の売買の動機、規模、頻度等から見て、家族名義の売買は所得を秘匿するための手段でもなく、被告人に脱税の意図はなかつたと主張する。

なるほど、被告人が、課税要件を充足するのを回避するために、自己の売買回数及び売買株式数を操作していないこと、家族名義による売買は昭和四七、八年ころから行われていて、本件の脱税のために新たに開始したといつたものではなく、家族名義の売買回数及び売買株式数が被告人名義のそれに比べて少なく、また、被告人は課税要件に合わせた形で売買回数及び売買株式数を家族名義に振り分けてはいないことが認められる。

しかしながら、本件以前からの家族名義の売買を通して見ると、かなりの回数及び株式数の売買が行われており、被告人名義を含めて相互に複雑な操作もなされているのであつて、このような売買状況や被告人の当公判廷における供述などを併せ考えると、右に認定した事実は、被告人が、課税要件を充足した場合でも一般投資家に対しては税務当局の調査は入らないと安易に考えていて、課税要件を充足するのを回避するために、自己の有価証券売買の回数及び株式数を操作したり、課税要件に合わせて家族名義に振り分けることもせず、その時々の口座の資金の準備状況などを考慮して、その取引に都合のよい者の名義で取引をしていた結果と認められる。したがつて、弁護人の主張は採用できず、この点から、被告人が有価証券売買益の課税要件を知つていたことが疑われるものではない。

以上の各事実を考慮すると、被告人の捜査段階の自白の信用性を肯定できるから、被告人は有価証券売買益の課税要件を知つていたと認められる。

(法令の適用)

被告人の判示各行為は、所得税法二三八条一項に該当するところ、各所定刑中懲役刑と罰金刑とを併科することとし、いずれも免れた所得税の額が五〇〇万円をこえているので、情状により同条二項を適用し、以上の各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により、犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で、被告人を懲役二年及び罰金七〇〇〇万円に処し、罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、後記情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間懲役刑の執行を猶予することとする。

(量刑の理由)

本件は、医業を営む被告人が有価証券の売買による利益を除外して自己及び家族名義で株式を購入するなどの方法により、二年間にわたり、その売買益三億八二七〇万一五二五円について全く申告することなく、合計二億五六八六万八三〇〇円もの所得税をほ脱したという事案である。本件のほ脱額は、右のとおり巨額であり、そのほ脱率も昭和六〇年が約九五・三パーセント、昭和六一年が約九八・二パーセントと高率である。その犯行態様は、有価証券の売買益を次から次へと自己又は家族名義を利用した他の有価証券の購入に充て、売買益の捕捉を困難にしたものであつて悪質である。また、犯行動機も、家族の生活の安定のためという意識もあつたことは認められるが、多くは自己の利益追求であり酌量の余地はない。これらの事実に、被告人は当公判廷において課税要件の認識がなかつた旨種々の不合理な弁解を繰り返しており、自己の刑事責任の重大性を自覚しているとは認められないことを併せ考えると、被告人の刑事責任には重いものがある。

しかしながら反面、被告人は、本件発覚後、昭和六〇年及び六一年分の修正申告による本税、重加算税、延滞税及び地方税として合計約四億三二六一万円を既に支払つており、また、被告人にはこれまで前科もなく、長年医者として一家を支えて稼働し、地域社会に貢献してきた者であること等の有利な事情もあるので、以上の情状を総合考慮し、主文のとおりの量刑が相当と判断した。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 植村立郎 裁判官 山崎学 裁判官 波多江真史)

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